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一人称で完結することと役割分担の世界

一人称で考えて作って公開することが好きなんだとつくづく思う。

会社の仕事ってややこしくて、考え出す人、売る人、作らせる人、作る人、お守りをする人の役割分担がはっきりしている。互いに仕事の範囲がはみ出てもいけない。あと自分の名前が残らないんだよね。こういう世界では、何をやったかそのものではなく、組織にどのように貢献したかが評価される。良く評価される人が必然と残る(=出世する)。

一方で、研究の世界は一人称で完結する。研究費も自分で取らなきゃいけない。その代わり、誰が何をやったかが論文で残る。オープンソースの世界でも誰が何をやったかはっきり残るんだよね。何をやったか、そして世界にどのように貢献したかが評価される。正確には誰かが評価するんじゃなくて、良いものが自然と残る*1

どちらかで生きていくとき、残るための考え方は対称的だ。どちらか決めてのめり込むほどのことをしなければ、あっという間にコモディティ化して消えてしまう。両者の世界で生きようとするような中途半端なことではいけない。

ウェブ時代をゆく」のparanoid surviveにはこういう意味もあるんじゃないかな。

*1:文献引用等の形で残るという意味。